1960-03-01 第34回国会 衆議院 予算委員会 第17号
そういう意味におきまして、やはり力のバランスというものが背後のバツクボーンをなしておるということは、この一つの事実を取り上げてみても明らかであり、また現実にその力を形成しておるところの各国の軍備の状況を見ましても、まだ縮小の現実は出ておりません。
そういう意味におきまして、やはり力のバランスというものが背後のバツクボーンをなしておるということは、この一つの事実を取り上げてみても明らかであり、また現実にその力を形成しておるところの各国の軍備の状況を見ましても、まだ縮小の現実は出ておりません。
これは非常にけっこうなことであり、われわれはそれを念願しなければならないと思うのでありますけれども、しかしあなたは大阪の演説で述べられているように、この雪解けのバツクボーンというものは力の均衡、いわゆる米ソ両陣営の端的にいえば軍事力の均衡の上に初めてこの雪解けが出てきておるような考え方をされておるという点は、きわめて危険なことだ。
だから、これは一つぜひ当局で、いろいろな面から、政府はこういうふうにやってあげるのだというようなことをよく知らせて、それをバツクボーンとするというか、励みにして、一般の罹災民を鞭撻してもらいたいと思うのです。実は、今度でもほんとうに喪心したような状態であったところへ、自衛隊が来て、自衛隊がやってくれるというので、みんな非常に力を得まして、復旧のために非常な熱意をもって努力しておるのです。
それは、日本における中小商業者というものは非常に数が多くて、いわば日本の国の経済のバツクボーンをなしていると解釈する、背骨をなしている、この背骨を大事にしないと経済がくずれてしまうから、この背骨を打ちこわすような力というものを排除しなければ経済が倒れてしまう、こういう意味のことで、私らから見ればいささかこじつけと思いますけれども、一応そこで切り抜けようとしておられるようでありました。
それがバツクボーンに影響するということであれば、これはそのまま放置するわけにはいきません。自分でつけた火でも燃え上って隣に類焼するときには、これは近所の家をぶっこわしてでも類焼を防がなければならぬ、自分でつけた火だからといってほっておいてもいいという言いわけにはならない、これはよくわかる。
これを要するに、八年間の占領政策において、日本の愛国心や民族精神をでき得る限り弱めるために、在来の東洋道徳、日本道徳を全部洗い流し、民俗、習慣、歴史の異なる英米流の教育を中途半端に取り入れたところに、教育の混乱が生じ、小学から大学に至るまですべての教育のバツクボーン、すなわち骨格が抜けてしまった。すなわち学校のしつけや徳育の根幹をなすものがなくなってしまったのであります。
かかる意味におきましてわれわれはあくまでもこの法案の採決にあたりまして、わが党があくまでも農業協同組合のバツクボーンを守り、しかも日本農協の発展のために期待しようとするその精神を体得されて、このわが党の改正案を中心にして、この改正法律案が成立することを期待すると同時に、最後にこの審議の最終段階において友党であるところの社会党右派の諸君が、民主主義の陣営の中から、しかも協同組合の基本的な筋としてあくまでも
それに納得しない者は、これは今度思い切つて、整理をなさらぬと、バツクボーンが入りません。それを申し上げておるのです。そのおつもりですな。
長い年月の歴史をかけ、基礎の上に基礎を、軍ね、石の上に石を積んで何らかの精神のバツクボーンを通して初めて軍備はできるものである。もし今日そういうことを言つて、小さい軍備ならいらぬというような態度をとつておりますならば、われわれは未来永劫自主自衛の独立国家となる可能性はもうなかろう、何年国際社会のやつかいものとなり終るか、あるいは永久に他の強国の奴隷となつてその頤使に甘んずるか。
それを法律さえ出せば、それで法律を作るのだからいいというのですが、これは大蔵大臣と議論してもしようがないが、やはり皆さんが、この大蔵省のバツクボーンである皆さんが本当に財政法を守つてくれなければ困るのですよ。そういう意味で余り一兆円予算に捉われたら困るし、屁理屈をつけたり、特例法で法律を出すのだからいいというのじや、これは何のために財政法を作つたか意味がないですよ。
○参考人(矢上正直君) 第一の問題でありますが、先ほど元の職員局長の吾孫子さんは、安全、正確、迅速、こういうのが運営のバツクボーンである、こういうふうにおつしやいましたけれども、私どももそれを否定をしていろいろな行動をしたわけではございません。ただ安全が第一である場合と、正確が第一である場合と、鉄道の行なつておる業務なり作業の内容によつて違うと思うのです。
をやつたんだというような御説明がございましたのですが、業務上の規定というものを単に一方的に解釈して、或る一部分のみを強調して法を守つたのだという見方をされるところに問題があるものでございまして、非常に常識的なような言い方をして恐縮でございますが、鉄道の仕事というものは、御承知のごとく安全ということと、迅速ということと、それから正確ということが、これは昔から非常に何と申しますか、鉄道の業務運営のいわばバツクボーン
そのバツクボーンが独占禁止法の緩和であります。従つてそういう意味において、我々はMSAとはつきりと関係のある、私は炭鉱労働者でありますけれども、私たち炭鉱労働者に対して出しておる規制法とがつちり関係のある独占禁止法の緩和については反対せざるを得ません。特に中小企業、小売人、国民一般市民、我々勤労大衆を中心にした者が考える場合に、独占資本が強化される。
前からの委員の方もおられるのでありましようけれども、本国会において新しく構成されました選挙法改正に関する特別委員会の改正せんとする基本的な方向を、関係当局と私ども委員会自体がはつきりと打出した後において、その方向に沿つて取捨選択して、バツクボーンを通した後に審議を開始しなければならないと考えるものであります。
これに対する酪農政策、水産関係の政策につきまして、今後いわゆる食糧増産計画と照応して、農政のバツクボーンをなすべきものと思いますが、内田農林大臣の所信を伺いたいのでございます。 次に、米価の安定は、国民経済上、民生安定上、特に物価を安定せしむる上に緊要であることは申すまでもございません。しかしながら、その安定を熱望する余り、生産者たる農民を犠牲にしてはならぬことは当然でございます。
マツカーサー元帥もこれをほめたのでありますけれども、平和と民主主義は新しい憲法のバツクボーンである。従つてほんとうの意味での平和民主主義、こういうことのために努力した人こそ功労章に値する。私が総理大臣ならば、こういう人に正一位を与えるのでありましよう。従つてわれわれが考えるものは、国民の憲法である、国家は国民のものである。正義は国民の生活と結びついたものでなければならない。
今度はそうした星やいかりではなくて、外務省が一番のバツクボーンとなつての海外のいわゆる発展といいましようか、そうしたことをやらなくちやいけない。その方々が口では善隣友好をおつしやるが、から手でこれをやろうという。平和というものはそう安くあがなわれるものではないのです。ある意味においては、私は人間の血を計算に入れない限りにおいては、戦争よりもむしろ平和を維持する方が金がかかると思うのです。
それはどうも天野前文部大臣の政策方針ではあきたらない政党政治が行われておるのだから、我が自由党の文教政策というものをもう少し日本の文教政策のバツクボーンとしてたたき込まなければいけない、こういうような与党の世論をバツクとして岡野文部大臣は大臣の自信を持つて自分は党人文相として、現在の日本の文教のあり方が見られるところの行詰り、これを一挙に打開しようというような抱負経綸と野望を持つて大臣の職につかれておりやしないかということを
併しその空気、それだけですべてを流そうという空気が起つて参りますと、その前に日本の民主化のバツクボーンとしてのこの労働者の基本的権利というものがとかく軽視される傾きになつておる。吉武労働大臣は労働省にも労働行政にも長く御経験になつておる。
この日本国民の苦しみの源であり、日本の植民地化のバツクボーンであるアメリカの軍関係に対しまする免税規定は、ほとんどすべての国民が納得できない法案だと思う。
それで、ほんとうにユネスコとは何ものであるか、こういうことになりますと、今言われる、一部識者が観念遊戯をしているにとどまつて、ほんとうに国民のバツクボーンになるというふうな点から申しますと、大分その間距離があるのじやないか。お役所が中心になつて、金殿玉樓のような機構を掲げても、どうも砂上の樓閣に終りはせぬか。
地方公共団体のバツクボーンである内務省当局はもとよりでございますが、この大政翼賛会の石渡事務総長の働きが会納金ということになつたわけでございまして、議会を通じ、のみならず院外における私どもの運動を通じてでき上りました、先ほど申上げましたが、畸形見的な所産である。
英語は十何年やつたが、一年か二年、いわゆる東洋の文化、子曰くでありますが、それをやつた経験からして、六年の間に日本が喪失したところのバツクボーンというものは、東洋精神と申しますか、日本の精神文化、これを再建しなければだめだと思う。この日本文化再建の上から、すでに衆議院は、東洋の精神文化の再建ということについて決議案が通りました。
大臣は今簡単でありますが、重んずるなれば、重んずるように決議案に対するところの決意を促しておいて、私は学術局長にバツクボーンがあるとないとによつて大学の……(「本問題と関係がないじやないか」と呼ぶ者あり)関係があると思う。バツクボーンがないところの東京大学、かくのごとき大学がかくのごとき演劇をする。この決議案に対する文部大臣のお答えは簡單明瞭であるけれども、私は尊重する。